2010年4月30日

韓国を知っていますか?

この間、国際教養大学で開かれた駐日韓国大使の講演に行ってきました。「韓国を知っていますか?」というタイトルで行われた講演は歴史の中から見た韓日関係についてのお話でした。今までの歴史を踏まえてこれからの関係をよくするためには「正しい歴史認識」「相互協力・発展的な競争」「文化交流の拡大」が重要だと挙げられました。韓国と日本、両方をよく知る大使の話なのでとても勉強になりました。私もこの三つがなにより大切だということをしみじみ感じていますが、個人的に一番心に響くのは「正しい歴史認識」です。


とはいっても率直な話、私は日本人とはあまり歴史のことは語らないです。というか語れないです。それは感情的なものじゃなくて両方が持っている情報、知識があまりにも違うからです。その情報の差が結局会話になれないということです。

たとえば、韓国の70,80代には結構日本語が話せる方々が多いです。で、その方々をテレビとかでみた日本の方々は「日本語できるんだ」と感心します。でもなぜ年配の方々が日本語を話せるかというのは日本の方々はまったくわかっていないです。わかっているなら、単純に「あの人英語がぺらぺらだな~」のように感心するような問題ではありません。

日本によって植民地化されたとき、韓国では韓国語を話すだけで射殺されました。韓国人なのに韓国の名前が使えなく、韓国語もしゃべれなく、ただ韓国人であるだけで殴られ、虐待されました。日本語をしゃべるのは語学勉強や異文化理解みたいにきれいな理由じゃなくて命のかかった生死の問題だったのです。

しかし、このような事実を日本人に伝えてもどれだけ耳を開いて、頭を開いて、心を開いて受け入れてくれるかというのは結局私にとってはギャンブルのようなものです。ひょっとしたら被害を受けたことを引きずっている人間に思われるかもしれないです。そしてたぶん私の前では一生日韓関係の話題を出さなくなるでしょう。

よく「過去のことは過ぎたことだから」とか「過去より未来に目を向けよう」とは言いますが、私はどっちかというと過去をはっきり認識しない限りそれは結局逃げることにすぎないと思います。

私が考える「認識」というのはまず「事実」「情報」の蓄積です。耳と目を開いて事実と情報を受け入れることがまず大事で、そのあと必要となるのがそれを‘判断’する力です。氾濫している情報から重要なことを判断し、大事なことを見極め、それを頭に受け入れたらそれは「知識」となり、そしてその知識から心を開いて実際‘理解’‘気づく’ことでようやく「認識」が生じるのではないかと私は思います。

認識に至るまでこのようなプロセスがあるものですから、「情報」の差でだいぶ違う「認識」になることだと思っています。もちろんこの「情報」-「知識」-「認識」をつなぐプロセスの根本には「興味」というのがあると思います。「興味」がなければ耳も、頭も、心も開かないのは当然なことです。

と、私がだらだら書いていますが、途中から「興味」を無くした方はもう読んでないでしょうね。結局一番基になり、力になるのは興味、関心、関わる心と言えるのではないですかね。

また元の話に戻ると、日本の方々と歴史の話を避けるのは、結局興味がない相手に重ったい、暗い話を持ち出したとしても会話は空回りになり、相手もひいちゃうだけだからです。過去に関して違う理解、違う認識を持っているのに未来のことを果たしてどれだけ語れるでしょうか。

単純に立場が違い、理解関係が違うという政治的な観点から解釈するのは結局本質を見抜いているような気がします。

少し過激な口調になったかもしれないですが、大使の話を聞いていろいろと考えさせられたので、日本に来ているここ3年間で一番長く歴史のことを語っちゃいました。
「それで一体何が話したいんだ?!」って問われたらまぁ…
興味を持ってください!
としか言えないかな。

普通、人と人の付き合いにしても今までのことをナシにして関係を築くことはできないですね。本当に仲良くなりたいときはその人が私と会う前はどういうことをしていたか、どういう考えを持っていたか、その人に関していろいろ興味ができるんじゃないでしょうか。相手を理解し、真の付き合いをしていくにはなにより「興味」を持たないとだめだと思います。「興味」を持つと何でも知りたくなり、何でも聞きたくなります。それが結局「関係」の始まりではないでしょうか。

それでこそ最後にまた聞きたくなります。韓国を知っていますか?